韓定食

2008年1月7日月曜日

再臨主は1920年生まれか?(同時性再臨論の嘘)

私が原理を信じたきっかけの一つが同時性再臨論でした。

第三節 復帰摂理時代を形成する各時代とその年数
(一)エジプト苦役時代四〇〇年
(二)士師時代四〇〇年
(三)統一王国時代一二〇年
(四)南北王朝分立時代四〇〇年
(五)ユダヤ民族捕虜および帰還時代二一〇年
(六)メシヤ降臨準備時代四〇〇年

第四節 復帰摂理延長時代を形成する各時代とその年数
(一)ローマ帝国迫害時代四〇〇年
(二)教区長制キリスト教会時代四〇〇年
(三)キリスト王国時代一二〇年
(四)東西王朝分立時代四〇〇年
(五)法王捕虜および帰還時代二一〇年
(六)メシヤ再降臨準備時代四〇〇年
(原理講論 後編 第三章より)

「なぜ歴史は繰り返すのか? これは難しい問題のようですが、実は理論的に理解することができるのです。」
「ユダヤ教の歴史をキリスト教が反復しているという驚くべき事実」
「神の選民としての使命を持っていたイスラエルがイエスを救世主として受け入れずに十字架で処刑してしまったために、紀元後の歴史はイスラエルに代わる神の選民としてキリスト教を編成して拡大し、イエス(救世主)の「再臨」をめざして『もう一度、歴史をやり直そうとしている!』という驚くべき神の計画(摂理)が人類史の背後に存在する。」

<人類史の大真実>より
http://www.chojin.com/main.html

同時性再臨論は上記のように誘導します。
BCの時代(原理では「復帰摂理時代」)、ヤコブ(イスラエル)達がエジプトに入ってから、イエス様が降臨されるまでの期間を400+400+120+400+210+400=1930年と教えます。
そして同様にADの時代(原理では「復帰摂理延長時代」)、イエス様から400+400+120+400+210+400=1930年前後に再臨の主が現れると教えます。
そしてこの歴史の秘密を紐解いた人、1920年生まれで、少年期にキリスト教に改宗した文鮮明氏こそが再臨主だと教えます。

しかし旧約聖書にはこう書いてあります。

出エジプト記12:40~41
イスラエルの人々がエジプトに住んでいた間は、四百三十年であった。
四百三十年の終りとなって、ちょうどその日に、主の全軍はエジプトの国を出た。

申命記 29:5 
わたしは四十年の間、あなたがたを導いて荒野を通らせたが、あなたがたの身につけた着物は古びず、足のくつは古びなかった。

ヨシュア記 5:6 
イスラエルの人々は四十年の間、荒野を歩いていて、そのエジプトから出てきた民、すなわち、いくさびとたちは、みな死に絶えた。これは彼らが主の声に聞き従わなかったので、主は彼らの先祖たちに誓って、われわれに与えると仰せられた地、乳と蜜の流れる地を、彼らに見させないと誓われたからである。

旧約聖書では、イスラエルの人々がエジプトに住んでいたのは430年で、モーセが荒野でイスラエルの民とさまよったのは40年ですから、イスラエル民族がエジプトに住み始めてから、エジプトを出てカナンに入るまでは470年です。

しかし同時性再臨論は、あくまでも文氏を再臨主だと証明するのが目的ですから、イスラエル民族がエジプトに住み始めてからイエス様降臨までが、470+400+120+400+210+400=2000ではまずいのです。
それで誰が悪知恵を働かせたのか、こちらの聖句を強調します。

創世記 15:13 
時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。

創世記の聖句から「400年」を持ち出して、「エジプト苦役時代四〇〇年」と偽ります。

エジプト苦役時代には、ヤコブとその十二子息を中心とした七十人家族がエジプトに入ってきて、それ以来、その子孫たちは四〇〇年間、エジプト人たちによって悲惨な虐待を受けたのであった。
(原理講論 後編 第四章 第一節より)

モーセの使命を継承したヨシュアが、イスラエルの選民を導いてカナンの地に入ったのち、オテニエル士師をはじめとした、十二士師のあとに引き続いて、サムソン、エリ、サムエルに至るまで、合わせて十五士師が、イスラエルを指導した四〇〇年間を、士師時代というのである。
(後編 第四章 第二節より)

聖書の権威を利用して、聖書から引用していると思わせ、別の聖句を持ち出し、エジプト苦役時代400年の後に士師時代400年があったと教え、400+400+120+400+210+400=1930と捏造することで、1920年生まれで、少年期にキリスト教に改宗した文鮮明氏こそが再臨主だと教えます。

それまで聖書と無縁だった私はこのペテンにすっかり騙されました。

ADの時代を原理では「復帰摂理延長時代」と言い、ユダヤ教の歴史をキリスト教が反復していると教えます。これにも多くの捏造があります。

ユダヤ民族が、イエスを生きた供え物としてささげる献祭において、失敗したために成し遂げられなかった「信仰基台」を蕩減復帰するために、キリスト教信徒たちにも、エジプト苦役時代のような時代がくるようになったのである。この時代がすなわち、ローマ帝国迫害時代の四〇〇年であったのである。ローマ帝国の過酷な迫害が終わって、コンスタンチヌス大帝がキリスト教を公認したのが西暦三一三年であり、テオドシウス一世がキリスト教を国教として定めたのが西暦三九二年であった。それゆえに、この時代は形象的同時性の時代のうち、イスラエル民族のエジプト苦役時代の四〇〇年を、実体的な同時性として蕩減復帰する時代に相当するのである。
(後編 第三章 第四節(一)ローマ帝国迫害時代四〇〇年より)

元々ローマ市民はギリシア神話そっくりのローマ神話の神々を信じていました。町にはユピテル(ゼウス)、アポロ(アポロン)、ビーナス(アフロディテ)等の神々の像が祭られていました。
ローマ皇帝コンスタンチヌス1世(大帝、在位306年 - 337年)が311年にキリスト教寛容令、313年に信仰公認令(ミラノの勅令)を出すと、キリスト教は帝国の最大宗教になります。
この頃皇帝の命令で、国費を投じて教会の建設ラッシュが始まりました。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂はコンスタンティヌス帝が、312年に建築した世界で初めての本格的なキリスト教聖堂。




エルサレム聖墳墓教会は325年頃、イエス・キリストの磔刑の場所ゴルゴタに建てられました。




サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂は聖パウロの墓の上に建てられました。





サン・ピエトロ大聖堂は330年頃に着工され、390年頃までに完成しました。





皇帝自身も335年に洗礼を受けますが、教会の諸活動を支える経費をまかなう為に、農地や工場や商店が教会に寄進されました。
当初は聖職者のみ無税でしたが、教会関係の商店なども税の優遇を受けるようになり、ローマの重税から逃れる為、生活の為にキリスト教徒に改宗する者も多く現れ、かつてのローマ神話の神々の裸像は次々に壊され始めました。
そして392年、キリスト教が国教になると他の宗教は認められなくなります。
以上の様に皇帝自身がキリスト教を支持し、教会建設を命じた時代を、「迫害時代」と言えるでしょうか?
「ローマ帝国迫害時代四〇〇年」は、明らかに歴史の捏造です。


・・・彼ら士師たちは、次の時代において分担された預言者と祭司長と国王の使命を、すべて兼任していたのであった。それゆえに、ユダヤ教の封建社会は、このときから始まったのである。このような士師時代を、実体的な同時性をもって蕩減復帰する時代である新約時代の教区長制のキリスト教会時代においても、教区長たちは、キリスト教信徒を指導するという面において、士師のそれに該当する職分を帯びていたのである。
・・・教区長は、このような霊的な王国建設において、士師と同じ使命をもっていたので、ときには、預言者にもならなければならず、あるときには、祭司長の役割を、そして、またあるときには、教区を統治する国王のような使命をも果たさなければならなかったのである。
・・・教区長制キリスト教会時代においても、キリスト教は、サタンの世界であるローマ帝国から解放されてのち、四世紀に、蒙古族の一派であるフン族の西侵により西ヨーロッパに移動してきたゲルマン民族に、福音を伝えることによって、西ヨーロッパの新しい土地で、ゲルマン民族を新しい選民として立て、キリスト教封建社会の土台を形成したのであった。

(後編 第四章 第二節 士師時代と教区長制キリスト教会時代より)

原理では教区長と言ってますが、大司教(教皇)の事です。大司教は教会を維持する為の農場や工場や商店を寄進され、しかも無税だったので大貴族のような世俗権力者でもありました。395年にローマ帝国が東西に分裂すると、東の四人の大司教は東ローマ皇帝の下に置かれます。

西ローマ帝国が476年に滅亡するとローマ教皇はゲルマン民族に布教します。フランク王国の建国は481年で、異端と言われたアリウス派から国王自身が正統のアタナシウス派に改宗(496年)し発展します。

6世紀~7世紀にかけてサーサーン朝ペルシアやイスラム帝国によりアンチオキア、エルサレム、アレキサンドリアが奪われると、残ったローマ(西方教会)とコンスタンチノーブル(東方教会)の両教会間の勢力争いが始まることになります。

原理では、教区長は士師と同じ使命をもっていたので、預言者、祭司長、そして教区を統治する国王の使命を果たさなければならなかったと言いますが、教皇や大司教は、国のトップである皇帝や国王の下にいたのですから、事実とは違います。

教皇が「教区を統治する国王のような使命を」果たしたのは、ピピン3世が754~755年にイタリアに出兵し、教皇のためにロンバルド族を討伐し、ロンバルドから奪い取ったラヴェンナ地方を教皇に寄進した(ピピンの寄進)755年以降の事です。

また原理では800年から「キリスト王国時代」が始まると歴史を歪曲していますが、フランク王国は496年ごろからキリスト教王国ですから、「教区長制キリスト教会時代四〇〇年」も明らかに歴史の捏造です。


復帰摂理時代において、イスラエル民族が、サウル王を中心として、初めて国王を立てたのち、ダビデ王を経てソロモン王に至るまで一二〇年間の統一王国時代があった。したがって、この時代を蕩減復帰するために、西暦八〇〇年チャールズ大帝が即位したのち、後日、彼の王統が絶えて、選挙王制となり、九一九年ヘンリー一世がドイツ王位につくまで一二〇年間にわたるキリスト王国時代がくるようになったのである。ゆえに、この時代は形象的同時性の時代のうち、統一王国時代の一二〇年を実体的な同時性として、蕩減復帰する時代に相当する。

(後編 第三章 第四節(三)キリスト王国時代一二〇年より)

チャールズ大帝がフランク王に即位したのは768年です。800年には、ローマ教皇レオ3世から、かつて滅亡した西ローマ皇帝の帝冠を与えられ、形式上は西ローマ皇帝に即位しました。

「法王レオ三世は、紀元八〇〇年に、チャールズ大帝を祝福して、金の王冠をかぶらせることにより、彼を第二イスラエル選民の最初の王として立てたのであった。」(後編 第四章 第三節より)

フランク王国は496年ごろからキリスト教王国ですが、原理ではこの時から「キリスト王国」が始まるそうです。フランク王国は843年のヴェルダン条約により、ルイ1世の死後三子が抗争、王国を三分しました。

①中部フランク・北イタリア(ロタール1世)875年にカロリング朝断絶、その後のイタリア

②東フランク(ルードヴィヒ2世)911年にカロリング朝断絶、その後のドイツ

③西フランク(シャルル2世)987年にカロリング朝断絶、その後のフランス

http://www2u.biglobe.ne.jp/~k-hina/tyuu-2.htm

800年から始まった王国(笑)は「3代43年」で三国に分裂したので「キリスト王国時代120年」は明らかに歴史の捏造です。

しかし原理では三分した中で東フランクのカロリング朝が「7代110年」続いたのに目を付けます。

「彼の王統が絶えて、選挙王制となり、九一九年ヘンリー一世がドイツ王位につくまで一二〇年間にわたるキリスト王国時代がくるようになったのである。」
(後編 第三章 第四節より)

東フランク<カロリング朝>

カール(チャールズ)大帝(768年 - 814年) 
ルートヴィヒ(ルイ)1世 (814年 - 840年)
ルートヴィヒ2世 (843年 - 876年)
カールマン (876年 - 880年)
カール3世 (肥満王) (876年 - 887年)
アルヌルフ (887年 - 899年)
ルートヴィヒ4世(幼童王) (899年 - 911年)

<フランケン朝>

コンラート1世(911年 - 919年)

<ザクセン朝>

ハインリヒ1世(919年 - 936年)
オットー1世(936年 - 962年)※962年をもって神聖ローマ皇帝兼ドイツ王(東フランク王)

http://classic.music.coocan.jp/etc/deutschland/roman-emp.htm

東フランクではチャールズ大帝の王統(カロリング朝)が絶えたのは919年ではなく911年ですから、これも小さな捏造です。
ちなみに西フランクのカロリング朝は987年まで続きます。(笑)

「3代43年」と「8代119年」をミックスして、いかにも「3代120年」の同時性の時代があったかのように捏造していますが、ペテンそのものです。


復帰摂理時代における統一王国時代に、神殿が摂理のうちで建てられなかったので、この王国が南朝と北朝に分裂され、四〇〇年間の南北王朝分立時代がくるようになった。ゆえに、復帰摂理延長時代においても、この時代を蕩減復帰する時代がなければならない。これが、すなわち、キリスト王国時代が過ぎたのち、西暦一三〇九年に、法王庁が南仏アヴィニョンへ移されるまでの、東西王朝分立時代四〇〇年であったのである。キリスト王国が分裂した当初は、東・西フランクとイタリアの三王朝に分立されていたが、イタリアは、東フランクを継承した神聖ローマ帝国の支配のもとにあったので、事実上、東西に両分されたと同様であった。ゆえに、この時代は形象的同時性の時代のうち、南北王朝分立時代の四〇〇年を、実体的な同時性として蕩減復帰する時代に当たるのである。

(後編 第三章 第四節(四)東西王朝分立時代四〇〇年より)

フランク王国は843年に三分した後、イタリアではルイ2世(ロタール1世の子)の死によってカロリング家が断絶。(875)その後、諸侯や都市が分立し、北イタリアは東フランクやビザンツの介入を受け、南イタリアはイスラムやノルマン人の侵入を受け、オットー1世が神聖ローマ皇帝になる962年までは、王や諸侯が乱立する分裂状態に陥りました。

なお分裂した一方の西フランク(フランス)は、滅亡するどころか、今日まで繁栄して、フランク以外のキリスト教国家(イングランド、スペイン、ビザンツ・・・)も多数存在したので、「東西王朝分立時代400年」も明らかな歴史の捏造です。


以上のように同時性再臨論はよくできた屁理屈であり、悪質なペテンです。
聖書を読まない人、世界史に詳しくない人、他人の言葉をすぐ信用する人は騙されます。(もちろん私のことです)

ナチス宣伝相ゲッべルスは「嘘も百回言えば本当になる」と言ったそうですが、このゲッベルスの言葉を忠実に実践しているのが統一協会です。
大人だけではありません。統一協会系の学校では宗教の教科書まで作り、純真無垢な子供達にも同時性再臨論を教えているようです。

この同時性再臨論を刷り込まれると「今が終末であり、終末にはメシヤが再臨する」と言う思考から抜け出すのが困難になります。
「文氏がメシヤでないなら誰がメシヤなのか?」と考えるようになるのです。
同時性の刷り込みが効果を発揮すると、「まだ再臨されてない」「再臨されないかも知れない」とは考えないのです。

確かに世界中で、自分がメシヤだと宣言しているのは文氏だけかも知れません。
しかし原理では、イエス様は十字架で死ななければユダヤの王になったと言います。
もしも同時性が正しければ、文氏は生きていますから、韓国の王(大統領)にならねばなりません。
王(大統領)になれなくても、民族を統一し平和と繁栄をもたらすのが、(原理で教える)メシヤではないでしょうか?

それができないから、自分は平和の王だ神自身だと、宣伝にお金をかけているだけではないでしょうか?
宣伝やサッカーやホテル経営やリゾート開発にお金を使う前に、貧困に苦しむ世界の子供達の為に、お金を使う考えはないのでしょうか?
そのようにお金を使う事が、神様の願いだと私は思います。

統一協会をキリスト教の異端と見るのは間違いです。
聖書解釈の違いで異端扱いされるのなら、むしろ誇れるかも知れません。
何故ならイエス様もユダヤ教の異端でした。
しかし聖書の権威を利用して、聖書を歪曲した嘘を教え、勝手に捏造した歴史を教えるのは、キリスト教と言えないどころか、まともな宗教のすることではありません。
カルトと言われるのも当然でしょう。

6 件のコメント:

やまきち さんのコメント...

長文拝見しました。

歴史的同時性は教義ロジックの中枢かもしれません。

神を信じるなら同時性の通り神が運行されメシヤが誕生しなければならない。
ですから文氏がメシヤでないなら誰がメシアなのかとなりますよね。

ところでキリスト教って世界宗教になってますけどその歴史は侵略の正当化になってませんでしょうか。
アジア圏では戦国時代にその接点がもたれますけど、宣教師が乗り込み西洋文明に対する反感を解く、軍隊が進駐し占領、植民地化というのが近世の歴史ではないでしょうか。
織田信長が宣教師を優遇し日本では取れない火薬の原料硝石を宣教師ルートで入手、大鉄砲隊を形成。 
宣教師とは羊の皮をかぶった武器密売人で当時のレートは硝石1樽で女50人であったようです。



話はそれましたが我が教会は本当に平和活動をしているのでしょうか?
世界の実情を知るなら建物を建てている場合じゃないと私は思うのですがね。

韓定食 さんのコメント...

純粋に命懸けで宣教する人もいれば、ビジネスチャンスと捉える商人もいる。宗教を利用して支配しようとする権力者もいる。人それぞれですね。
ユダヤ教やキリスト教の侵略虐殺は、神のみ旨で正しいと教える一方で、日本に支配されたことを糾弾するのはおかしいですね。

平和活動ですか?
宣伝の為の平和活動はやっているでしょう。
VIPに大金を払って宣伝するより、飢えや病気で苦しむ人達を助けることが、神様の願いであり、
本当の意味で宣伝にもなるのですが、文氏は気が付かないでしょう。

以前、訪問介護最大手のコムスンが不祥事を起こした際、
「統一グループが介護ビジネスに参入すべし」とブログに書いた食口がいました。
介護は大変な仕事で給料も安いですが、真の愛と為に生きる心で頑張れば、霊感商法の汚名を晴らし、伝道にも繋がります。
「食口にも素晴らしい考えの人がいるなぁ」と感心していたら、そのブログは無くなってしまいました。
協会幹部の方針はあくまで「楽して金儲け」「ガラクタを法外な価格で売る霊感商法」「VIPを呼んで宣伝」です。
素晴らしい考えを持つ部下がいても、聞く耳を持つ指導者がいないのでしょう。

やまきち さんのコメント...

教会員はこの教会のことを全く理解してないですね。

個人としては為に生きる事を旨としている、その追求のためにすることが天国建設の一助だと真剣に考えているのでしょうが、教会組織はそんなことは全く考えていない。

この方は教会の考えていることやっていることすら理解出来ていないということでしょう。

教会が何か対外的に為に生きることを実践したという記憶は私にはありません。

YURINONAMIDA さんのコメント...

はじめまして、韓国在住の元信者です。
私のヤフーのプログで、この記事の住所を
紹介させてください。(もう、してしまったんですが、事後承諾お願いですみません^^;)
これからよろしくお願いします。

YURINONAMIDA さんのコメント...

私のプログの住所の記入を忘れてました。
ここです。よかったら、どうぞ。
http://blogs.yahoo.co.jp/chiyoko3428/40798699.html

韓定食 さんのコメント...

はじめまして。
コメントありがとうございます。
ブログを紹介してくださってありがとうございます。
はい、こんにちは^^ さんのブログもこれから読ませていただきます。
韓国在住とのこと、ネットでは分からない生情報を教えてくだされば嬉しいです。