韓定食

2008年2月23日土曜日

nickさんへの反論

スズランさんのブログに、私の書いた「再臨主は1920年生まれか?(同時性再臨論の嘘)」に対する、批判コメントがありました。
http://blogs.yahoo.co.jp/chiyoko3428/22908328.html

批判の主は 「nick_marekko_yonihabakaru」さんです。
http://blogs.yahoo.co.jp/nick_marekko_yonihabakaru

私のブログに直接、批判のコメントをしないあたりが何とも・・・。(笑)
まあ一応反論しておきます。


エジプト苦役時代を400年間とするのは誤りで、470年間であるとの主張を読みました。
それは、エジプトを出るまでが、430年という聖句があるのと、エジプトを出てから40年間、荒野をさまよったからと言われています。
私は、エジプト苦役時代を400年間とみることに、問題は感じません。
一つには、そこでも言われているように400年間としている聖句もあること。
また、400年間という意味は、40数のサタン分立の条件を成立させるための期間であり、その時代の意味が400年である事実は変わらないと思うからです。
モーセは、エジプトを出発する前に40年間、ミデアン荒野で暮らします。
これは、モーセが、自分の同胞であるユダヤ人が、エジプト人に虐待されているのに憤激して、そのエジプト人を殺したのですが、それで、ユダヤ人たちが、モーセを仲間と考えれば、そこで、出エジプトの道も天は用意されていたようですが、天の願いとは反対に、モーセを告発するようなことをしたので、モーセは、逃げざるを得なかったのです。
また、エジプトを出た、ユダヤ民族が40年間も荒野をさ迷ったのも、はじめからの天の願いではなく、ユダヤ民族の不信のためでした。
とくに、カナン偵察の40日間を、不信の報告をした10名にユダヤ民族が同調するようになったので、信仰的に報告をしたヨシュアとカレブを除く、エジプトから来た全ユダヤ人のおとなたちは、皆、荒野で死ぬようになったのです。
そのように、不信のゆえに、延長されたり、蕩減期間をさらに歩んだりしていますが、摂理の意味からは、400年間のサタン分立の期間であるので、エジプト苦役時代を、400年としている聖句もあるのですし、その期間を、400年間として、同時性を考えるは、根拠があると思います。
(2008/2/16(土) 午前 3:04 [ nick_marekko_yonihabakaru ])

nickさんの(原理の)解釈のように、出エジプト以前の期間を「エジプト苦役400年」だとすると、大きな矛盾が生じます。

創世記15章
13)時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。

この聖句の「400年」は予告です。

出エジプト記12章
40)イスラエルの人々がエジプトに住んでいた間は、四百三十年であった。
41)四百三十年の終りとなって、ちょうどその日に、主の全軍はエジプトの国を出た。

ヨシュア記5章
6)イスラエルの人々は四十年の間、荒野を歩いていて、そのエジプトから出てきた民、すなわち、いくさびとたちは、みな死に絶えた。
これは彼らが主の声に聞き従わなかったので、主は彼らの先祖たちに誓って、われわれに与えると仰せられた地、乳と蜜の流れる地を、彼らに見させないと誓われたからである。

この聖句の「430年+40年」は結果です。
原理講論では「430年+40年」を無視しており、nickさんも触れていません。
しかし「400年」の予告と「430年+40年」の結果には深い意味があります。

創世記37章以下を読むと、ヤコブの息子ヨセフは17歳の時に見た夢の話から、兄弟達に憎まれるようになり、イシマエル人に売られエジプトに入ります。
パロの役人で侍衛長であったエジプト人ポテパルに気に入られますが、ポテパルの妻に逆恨みされて牢獄に入れられます。
そしてパロが見た夢を謎解き、7年の豊作の後7年の飢饉があるので備えるように進言し、エジプトの宰相に任じられます。

創世記41章
32)パロが二度重ねて夢を見られたのは、この事が神によって定められ、神がすみやかにこれをされるからです。
33)それゆえパロは今、さとく、かつ賢い人を尋ね出してエジプトの国を治めさせなさい。
34)パロはこうして国中に監督を置き、その七年の豊作のうちに、エジプトの国の産物の五分の一を取り、
35)続いて来る良い年々のすべての食糧を彼らに集めさせ、穀物を食糧として、パロの手で町々にたくわえ守らせなさい。
36)こうすれば食糧は、エジプトの国に臨む七年のききんに備えて、この国のためにたくわえとなり、この国はききんによって滅びることがないでしょう」。
37)この事はパロとそのすべての家来たちの目にかなった。
38)そこでパロは家来たちに言った、「われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか」。
39)またパロはヨセフに言った、「神がこれを皆あなたに示された。あなたのようにさとく賢い者はない。
40)あなたはわたしの家を治めてください。わたしの民はみなあなたの言葉に従うでしょう。わたしはただ王の位でだけあなたにまさる」。
41)パロは更にヨセフに言った、「わたしはあなたをエジプト全国のつかさとする」。
42)そしてパロは指輪を手からはずして、ヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、金の鎖をくびにかけ、
43)自分の第二の車に彼を乗せ、「ひざまずけ」とその前に呼ばわらせ、こうして彼をエジプト全国のつかさとした。
44)ついでパロはヨセフに言った、「わたしはパロである。あなたの許しがなければエジプト全国で、だれも手足を上げることはできない」。
45)パロはヨセフの名をザフナテ・パネアと呼び、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻として彼に与えた。ヨセフはエジプトの国を巡った。
46)ヨセフがエジプトの王パロの前に立った時は三十歳であった。ヨセフはパロの前を出て、エジプト全国をあまねく巡った。
47)さて七年の豊作のうちに地は豊かに物を産した。

7年の豊作の後、飢饉が起こり、エジプトに食料を買いに来た兄弟と再会し、身分を明かします。

創世記45章
4)ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。
5)しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。
6)この二年の間、国中にききんがあったが、なお五年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。

9)あなたがたは父のもとに急ぎ上って言いなさい、『あなたの子ヨセフが、こう言いました。神がわたしをエジプト全国の主とされたから、ためらわずにわたしの所へ下ってきなさい。
10)あなたはゴセンの地に住み、あなたも、あなたの子らも、孫たちも、羊も牛も、その他のものもみな、わたしの近くにおらせます。
11)ききんはなお五年つづきますから、あなたも、家族も、その他のものも、みな困らないように、わたしはそこで養いましょう』。

ヨセフがエジプトの宰相になってから7年の豊作と2年の飢饉の後、ヤコブの家の70人は宰相ヨセフの下を訪ねて、裕福に暮らし始めます。

創世記46章
27)エジプトでヨセフに生れた子がふたりあった。エジプトへ行ったヤコブの家の者は合わせて七十人であった。

創世記47章
11)ヨセフはパロの命じたように、父と兄弟たちとのすまいを定め、彼らにエジプトの国で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた。
12)またヨセフは父と兄弟たちと父の全家とに、家族の数にしたがい、食物を与えて養った。
13)さて、ききんが非常に激しかったので、全地に食物がなく、エジプトの国もカナンの国も、ききんのために衰えた。
14)それでヨセフは人々が買った穀物の代金としてエジプトの国とカナンの国にあった銀をみな集め、その銀をパロの家に納めた。
15)こうしてエジプトの国とカナンの国に銀が尽きたとき、エジプトびとはみなヨセフのもとにきて言った、「食物をください。銀が尽きたからとて、どうしてあなたの前で死んでよいでしょう」。
16)ヨセフは言った、「あなたがたの家畜を出しなさい。銀が尽きたのなら、あなたがたの家畜と引き替えで食物をわたそう」。
17)彼らはヨセフの所へ家畜をひいてきたので、ヨセフは馬と羊の群れと牛の群れ及びろばと引き替えで、食物を彼らにわたした。こうして彼はその年、すべての家畜と引き替えた食物で彼らを養った。
18)やがてその年は暮れ、次の年、人々はまたヨセフの所へきて言った、「わが主には何事も隠しません。われわれの銀は尽き、獣の群れもわが主のものになって、われわれのからだと田地のほかはわが主の前に何も残っていません。
19)われわれはどうして田地と一緒に、あなたの目の前で滅んでよいでしょう。われわれと田地とを食物と引き替えで買ってください。われわれは田地と一緒にパロの奴隷となりましょう。また種をください。そうすればわれわれは生きながらえ、死を免れて、田地も荒れないでしょう」。
20)そこでヨセフはエジプトの田地をみなパロのために買い取った。ききんがエジプトびとに、きびしかったので、めいめいその田畑を売ったからである。こうして地はパロのものとなった。
21)そしてヨセフはエジプトの国境のこの端からかの端まで民を奴隷とした。

創世記50章
26)こうしてヨセフは百十歳で死んだ。彼らはこれに薬を塗り、棺に納めて、エジプトに置いた。

30歳で宰相になったヨセフは40歳ごろから、父と兄弟達と暮らし始めます。
ヨセフが110歳で亡くなるまでの約70年間、イスラエルの一族はエジプトの国で最も良い地、ラメセスの地を所有して暮らし、飢饉が非常に激しく、全地に食物がなく、エジプトの国もカナンの国も、飢饉のために衰えた時も、食べるものに不自由はなく、エジプト人を奴隷にさえしたのです。
エジプト人を奴隷にしたのですから、この70年は「苦役時代」とは言えません。
しかしその後、ヨセフのことを知らない新しい王が即位して立場は逆転します。

出エジプト記1章
5)ヤコブの腰から出たものは、合わせて七十人。ヨセフはすでにエジプトにいた。
6)そして、ヨセフは死に、兄弟たちも、その時代の人々もみな死んだ。
7)けれどもイスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、国に満ちるようになった。
8)ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。
9)彼はその民に言った、「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。
10)さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。
11)そこでエジプトびとは彼らの上に監督をおき、重い労役をもって彼らを苦しめた。彼らはパロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。

nickさんの解釈のように、イスラエル民族が移住してから、モーセがエジプト人を殺してミデヤンに逃げた時までの390年間を「エジプト苦役400年」と考え、その後のミデヤン40年や荒野40年は延長路程だから関係ないとするならば、エジプト人を奴隷にして誰よりも良い生活をした70年間は、とても「苦役」とは言えませんから、エジプトでの「苦役時代」は320年になります。
それでは神様の予告とは異なります。

聖書を読めば、イスラエル民族が移住してから出エジプトまでは430年で、エジプト人を奴隷にして誰よりも良い生活をした70年を除くと、エジプトでの苦役は360年になります。

では荒野をさまよった40年間を考えましょう。
モーセが十戒を授かったシナイ山、そしてシナイ荒野は、現実にはエジプトの国土の一部でした。
その付近には、トルコ石など原石の採掘場が多くあり、古くからエジプトの支配下でした。
当時のシナイ山周辺がエジプトの神々の勢力圏だったことは、聖書にも書いてあります。

出エジプト記32章
1)民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。
2)アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」。
3)そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。
4)アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。

エジプトでは、牛は神の化身として篤く信仰されていたのです。

まとめてみます。
イスラエルの人々がエジプトに住んでいたのが430年。
エジプトの勢力圏のシナイ山付近で苦しんだのが40年。
そこからエジプトの最も良い地で裕福に暮らした70年を引きます。
430+40-70=400年

神様の予告どおり、アブラハムの子孫は他の国に旅びととなってから、400年間悩まされました。
そしてイスラエル民族がエジプトに入ってから、約束されたカナンの地に入るまでは470年でした。
「400年」の予告は「430年+40年」かけて成し遂げられました。
「430年+40年」を最初から無かったようにごまかして、都合よく数合わせする原理の解釈には説得力がありません。


次に、ローマ帝国の迫害時代について書いており、国教になる以前から、教会建設ラッシュとか書かれておりました。
また、いろいろ歴史的な内容を書かれており、かなり勉強されているようにも思えるのですが、それにしては、360年に統一ローマの皇帝に即位したユリアヌス二世のことに触れられていないことに大きな疑問を感じています。
彼は、キリスト教への特権を廃止し、多神教などの伝統宗教の復興を目指しました。
キリスト教徒からは、背信者と呼ばれてもいます。
かれは、優秀な皇帝であったいう評価が多いですが、363年に戦死します。
韓定食さんのブログでは、330年頃から、キリスト教を皇帝が支持し、教会建設を命じたと書いていますが、それは、実際は嘘であるわけです。
嘘八百と自分でいいながら、自分が嘘八百を言っているという矛盾です。
おそらく、後半も同様ではないかと思うのですが、とりあえず、ここまで、読むと、彼の主張には根拠が弱いか、トリックを使っていることが分かります。
(2008/2/16(土) 午前 3:04 [ nick_marekko_yonihabakaru ])


nickさんが自分で紹介したように、ユリアヌスは「背教者」と呼ばれました。何故でしょうか?
彼の前の皇帝達も、彼の後の皇帝達もキリスト教を保護したからです。
キリスト教徒から「大帝」と呼ばれたコンスタンチヌスの時代から、50年以上続いたキリスト教会の税金優遇の特権を、ユリアヌスは廃止しました。
それで「背教者」と呼ばれたのですが、キリスト教徒を迫害したわけではありませんでした。
彼の帝位はわずか3年であり、彼の死後はキリスト教会の特権も復活しました。
キリスト教が400年迫害されたと信じるのに、ユリアヌスだけでは根拠が弱すぎます。

コンスタンチヌス大帝の325年頃から教会建設ラッシュが始まり、サン・ピエトロ大聖堂が330年頃に着工されたのは、検索すればわかることですが、私のことを「嘘八百」と言う前に、なぜ自分で調べないのでしょうか?

おそらくnickさんは原理(教義)と現実が異なる場合には、現実から目を背けて、原理だけを信じてきたのでしょう。
nickさんの頭の中では長い間「ローマ帝国迫害時代四〇〇年」が“真実”だったので、サン・ピエトロ大聖堂が330年頃に着工されたなどと、原理を否定する私は「嘘八百」で、「嘘八百」の意見などは検索して調べてみる価値さえ認めないのでしょう。

そのように偏った価値観だから、後半を読まないうちから「後半も同様(嘘八百)ではないか」などと言うのでしょう。
それとも後半には突っ込めなかったので、「読んでないけど、どうせ嘘八百でしょう」と印象操作するトリックですか?
その無責任な発言からは、清平でも直らないnickさんの人間性(堕落性)が感じられて、とても嬉しいです。

今でも教祖を信じ続けるオウム信者や、摂理信者と同様に、nickさんも勇気をもって現実を直視することが必要です。